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曹洞宗

曹洞宗

教え

坐禅行を実践し、自らの中の仏性を見出す姿こそが仏であるとする「即心是仏(そくしんぜぶつ)」を説く。
その他の実践の路として、懺悔の功徳により罪を消滅させる「懺悔滅罪(ざんげめつざい)」、仏の掟に従い守り仏として目覚めを乞う「受戒入位(じゅかいにゅうい)」、煩悩の世界の人々を奉仕によって救う「発願利生(ほつがんりしょう)」、生きていることへの感謝の意をもって行を積む「行持報恩(ぎょうじほうおん)」を説く。それらひとつひとつがそのまま仏の道であり、目的のための手段ではないと教えている。

本尊 釈迦牟尼仏
脇尊 (右)道元禅師(左)瑩山禅師
総本山 永平寺(福井県)
総持寺(神奈川県)
開祖 道元(1222~1282)

1200年、京都で内大臣久我通親の子として生まれたが幼くして両親を亡くす。
比叡山で天台教学を修めたが、天台宗の教えに疑問を抱き、6世紀に達磨大師によって開かれた「禅宗」へと傾斜してゆく。
その後道元を悟りに導いたものは、24歳で渡中して出会った中国、長翁山の禅師・如浄だった。身心脱落の境地を得て帰国した道元は、28歳で京都・建仁寺に入り、その後、越前に移り永平寺を建て、1253年に没するまで自らの理想とする正伝の仏法の提唱と弟子の養成につとめた。

「否定の人」といわれる道元は、読経、念仏、真言密教、末法思想までも否定した。そしてその仏法の神髄を説いた「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」は全95巻という大著で、日本最高の哲学書として和辻哲郎、ハイデッガーなど西洋哲学の研究家からも注目を集めた。

メモ:瑩山禅師

道元から四代目に当たる瑩山は、道元の教えを受け継ぐとともに、僧俗を問わず戒を授けて多くの優れた弟子を養成しながら大衆教化にもつとめ、現在日本最大の寺院数を誇る曹洞宗の素地をつくった。曹洞宗では道元と瑩山を両祖と仰いでいる。

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